心疾患が判明するまで⑵
2016.1.20
妊娠25週。
次回は3週間後に来るよう言われていましたが、仕事の調整がつかず、5週間後になってしまいました。
普通の妊婦の場合、妊婦健診は我が子の姿・成長を見られる数少ない機会なので、とても楽しみにしているものだと思います。
もちろん私もそうで、この時も
「性別が分かったら教えて下さい♪」
とウキウキしながら寝そべっていました。
そろそろ性別が分かるかと思ったら、先生が見ているのは心臓ばかり
早く足のところを見てくれないかなーと思いながらエコー画面を覗いていると、何やら赤色や青色がチカチカするところばかり見ている先生。
私「それはどこを見ているんですか?」
先生「心臓ですよ。」
そう言ったきり随分長い時間心臓ばかり見ています。
不思議に思い、
私「何か気になるところがありますか?」
先生「うーん。この、右下の部屋(右心室)が少し小さいように思うんだよね。それから、ここの(右心房と右心室の間、つまり三尖弁)血液が通っていないように見える。」
そう言われても私は、
(心臓の発育が遅れているのかなー。私がしっかり栄養を摂れば成長するだろう。)
くらいにしか考えていませんでした。
しかし、その後もずっと心臓を見る先生。
おまけに、産婦人科の先生全員を呼び出し皆でエコーを見始ます。
*三尖弁閉鎖症は、1万人に1人の珍しい難病なので、勉強の機会だと思って他の先生にも見せていたのでしょう。
この段階で私も少し不安になり始めました。
結局、ほぼ心臓のみ見ただけでエコーは終了。
心疾患の可能性があると告げられる
先生からしても、珍しい心疾患だったのでしょう。落ち着いた口調ながらも、医学書を見ながら、以下のことを言われました。
・心臓に何らかの異常がある可能性があり、専門の病院で診てもらう必要がある
・単心室、あるいは右心低形成の疑い
・里帰り出産と言っていたけどそれどころじゃない、手術しないといけないと思う
最後の一言で、ようやく私もただ事じゃないと気付きました。
真っ先に思ったのは、
(妊娠しても私がガツガツ仕事していたから、赤ちゃんに栄養がきちんと届かなくて、心臓がうまく発育しなかったんじゃないか、、、)
ということでした。
しかし先生は、
「原因はとても複雑でよく分かっていないので、お母さんのせいではないですよ。ごく初期で心臓が出来る時、何万というレベルでの細胞分裂の段階で少し異常が生じてしまったんですよ。」
と優しく言ってくれました。
これ以降、自分を責めることはなくなったように思います。
心疾患児を授かった母親の心情
よく、心疾患児の母親は「私のせいで、、、」「こんな身体に産んじゃってごめんね、、、」と責める場合が多いと聞きます。
産んで1年弱経って思うのは、確かに子供自身は疾患持ちで大変だろうけど、こちらが思う以上に赤ちゃんの生命力ってとても強いです!
そして医学の発達は凄まじく、息子が目指すフォンタン手術も、ここ20年で成功率が格段に上がりました。
将来は、IPS細胞なんかでもっと劇的に良くなるのではないかと、勝手に期待しています。
それに、1万人に1人の確率で息子のような心疾患児は産まれてきますが(何らかの心疾患児は100人に1人)、人それぞれ他の人とは違うところを何かしら持っているものです。息子の場合、それが何も治療をしないと命に関わるだけで。
個性、とまとめてしまのは大雑把すぎて反対ですが、疾患のことを自身でもよく理解し、周りと助け合っていけば良いのではないかと考えています。
後日談になりますが、息子の心疾患のことを周りに打ち明けた時、義父からは
「そういう運命の子なんだね。」
と言われ、とても心が軽くなりました。
また、職場の方たちからは
「あなただから育てられると思って、その子はやって来たんだよ。」
と言われ、自信にもなりました。
疾患の程度は人それぞれで、親としても感じることは本当に様々だと思いますが、私自身はそのように考えています。
何より、一生懸命生きている息子が目の前にいる!
笑顔で、愛情深く接するのが息子にとってもきっと一番です。
さて話は妊婦健診時にもどりますが、そうして家から電車・バスを乗り継ぎ約1時間半の心臓専門病院を紹介されました。
その際先生は看護師さんに、
「複雑心奇形の疑いあり、と伝えて。」
と指示していました。
涙でぐちゃぐちゃ、頭はぼんやりしていましたが、その言葉を聞いて何だかとても怖くなったことを覚えています。
自分の中で何となく覚悟が決まり、受け入れる
幸運にも翌日心臓専門病院の予約が取れ、診てもらうことになりました。
まずは職場に、明日の午後休の申請をしなきゃと思い、病院から出てすぐ上司に電話をかけました。
覚悟はある程度決めたつもりでしたが、
「子供の心臓に異常があるみたいで、、、」
と話し出した瞬間号泣してしまい、上司も
「いいから明日は朝から休め!」
と言ってくれました。
男勝りでガツガツ仕事をしていた私が泣いていたので、上司も相当驚いたことでしょう。
その後も今に至るまで、温かい言葉をたくさん下さりとても感謝しています。
夫は仕事中だったので、とりあえず要点だけメールを送り、もし休めるなら明日一緒に来て欲しい旨を伝えました。
何だか家に帰る気分になれなかったので、近くのコーヒーチェーンに入り、
「単心室」「右心低形成」でネットを検索しまくりました。
そこで、単心室の場合フォンタン手術という根治手術を目指し、3回手術を受けること、お腹の中にいる間は赤ちゃんは元気でいられること、などを知り、何となく落ち着きました。
ただ、右心低形成の情報はあまりなく、明日詳しく診てもらわないとよく分からないなぁと考えていました。
仕事中の夫から電話が来て、翌日一緒に病院に行くと言ってくれ、もうその時は私も泣かずに落ち着いて会話できました。
自宅に戻り、それぞれ親に電話で伝えました。
うちは夫婦ともに実家が遠方なのです。
私の母は、「先生は念のため調べてもらいなさいって言ったんだろうからね。間違いかもしれないらね。」
と言ってきました。
実は未だにこの言葉を思い出すと嫌な気持ちになります。何だか、子供のことを否定、あるいは拒否しているようで。
母は、私を励まそうとしてそう言ってくれたのでしょうが、私としては一緒に受け入れて欲しかったです。
翌日、ついに疾患名が判明します。